いわゆる「ゆとり」と接すると感じる事がある。 それは「自分でやらない」事だ。 どうゆう事かと言うと、例えば自分でこれ作ったと言うと、 「へ〜!これ自分で作ったんですか〜w」 「え〜?これ自分で取り付けたんですかーw」 だ。 w←これ! w←これがムカつく!! って言うとつかたんを知ってる人からすると「お得意の自作系だべ?」と思うだろうが、 それもある。いや、そうじゃなくあらゆる物において、だ。 いわゆるD・I・Yについてえらく軽蔑した目で見るんだよな。 例えば物作り、市販品ではないオリジナルを自分で作る事、 例えばプラモデル。自分で作って自分で色塗って作る事、 例えば車。パーツを新品、あるいは中古で購入し自分で取り付ける事。 「自分でやる事がダサイ、キモイ、貧乏ったらしい」って価値観があるんだよな。 まぁそおいう心理もお前には全く無いのか?と問われればゼロではない。 確かに自分以外の他人のやる事は全て他人事だ。 その他人事の行動ってのはある意味全てが滑稽に見える事も無いわけではない。 でもそれと同時に「では自分はできるのか?やれないよな・・・」と恥じる面もあるんだよな。 例えば自分で車のセスペンションを交換した、って人がいれば 「凄いですね。俺?俺はできないなぁ・・・・難しそうで」という答えを返してしまう。 だがゆとりは「へ〜!凄いですねぇw」だ。 このw←がイラつくんだよな。 自分ができないくせに出来た人をバカにしてる態度がムカつく。 おそらくそれは「ゆとり」だから。 まぁその一言で片付ければ片付いてしまうが、それだと単におっさんのジェネレーションギャップへの批判にすぎないわけで。 やはりそれは全てお金で片付いてしまう世の中が原因と言える。 オモチャにしろ、今や中国生産により手作りでしか出来ないような製品がお金を払えば手に入れられるのだ。 プラモで、しかも超精密で職人モデラーでしか作れない物すら、オークションを覘けば出品されているのだ。 家電などは故障すれば修理するより新しいの買った方がコストパフォーマンスが良い。修理するメリットが多くないのだ。修理する必要性が無いのだ。 身の回りの物、例えば鍵の取り付け、アンテナの取り付け、ガス台・テレビ・食洗機などの取り付けなども今や専門の業者が色々なサービスがある。 そう、昔は自分でやるしかなかったものが今は金さえ払えば誰かがやってくれるのだ。 お金さえ払えば?そう。ではお金が無い者は?自分でやるしかない。 つまり「自分でやる→お金が無い=ダセー」というのがゆとりの思考らしいのだ。 だがそのゆとり世代がお金持ってるのか?と言うと昔より全然、だと思うんだが・・・・ 今や正社員になれる事すら難しい時代だし、その正社員でもブラックだったりヘタな派遣より悲惨だったりするし。 でも彼らの「ステータス」がDIYを許さない。 いわゆる「ご主人さま」がゆとりの「ステータス」なのだ。 自分ではやらず、やれる人にやらせるのが彼らの「ステータス」。 だから「自分でやる」という事は「しもべ」に成り下がる事。だから「ダサイ・キモイ」なのだ。 でもお金が無い者がどうやって節約するか?どうやって目的を達成するか?を考えると「自分でやる」という選択肢が生まれると思うんだよな。 だがお金が無いゆとりは「その選択肢が無い」 例えお金持ちだったとしてもお金は無限ではない。有限であるお金をどうやって上手くやりとりするか?って事を考えないんだよな。いや、考えても「自分でやる」という選択肢は無い。つまりそおいう事。 まぁ結局の所、笑いたい奴には笑わせておくしかないし、なんだかんだ言ってもその笑ってる奴は上手くやってくと思うのだが、う〜む、やはりそおいう時代なんだろうな。 |